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いちおっさんの立場から、若者が何も主張しない理由を推定してみる

いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記にインスパイヤーされて記事書きます。。

私は、1968年産まれの43歳(おっさん・バブル世代)です。
いわゆる若者と呼ばれる世代とその親の世代の中間に位置します。

上の世代の価値観に片足突っ込みつつ
それがあれよ、あれよという間に崩壊していったのを見てきた世代です。

で、最近の若者がどういう価値観、考え方をするのか?
興味もあるし、何となくわかる気もするが、いまいち??というのが本音でした。。

そして冒頭のyuhka-unoさんの日記を読んで、自分の中で腑に落ちる仮説が出来たので披露してみたいと思います。


いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記で述べられている
「親は子供の意見を聞こうとしない」
「頭ごなしにダメだと決め付ける」
という行動様式は、むか〜しから存在する、ごくありふれた行動様式です。。

で、、
「それを乗り越えて成長することが、大人になることなんだ!」
「それ(自分を認めてくれない)ぐらいで、凹むなんて、甘っちょろい!」
という論理展開も何万回も繰り返されてきたものです。。


確かに若者の親の世代までは、この
①親は子供の価値観も能力も認めない
②子供はそれに反発しながらも頑張って親を見返す努力をする
のセットが成り立っていました。

しかし今の若者は①⇒②が成立しません。

そして③何を言ってもムダなので何も主張しなくなる
という第3の道を選択するようになります。


それは、今の若者が「物が溢れた、システムが完備された恵まれた(甘やかされた)世代だからだ」
というのが何となくの定説だったように思います。。(俺だけかな?)

でもそれは全然違うことが今日わかりました!




上記の①⇒②が成立する条件は “親が見返すに値する” 場合に限ります

つまり、親が確固たる意志・価値観を持って生きていて、それが揺るぎない状態の時に、
子供はそれをリスペクトして、乗り越えようというガッツが湧くのです。。

親、および親の世代を乗り越えるやり方は、革命的である場合も、協調的である場合もあります。
革命的なら全共闘などの学生運動になり、協調的なら同じコミュニティに入り頭角を現すことになります。


でも、今の若者はそういう親の無理解を乗り越えて頑張る気になれない。
それはなぜか? それは「親の世代が自信がなくなった」からなんですよ!


「俺の時代はなぁ。。○○だったんだぞ!」と言って自慢話をしつつ
「それが今じゃ、××になっちゃった。。」と言外にでも続いてしまったら

よーし見返してやろうじゃないか!という気がおきないのも当たり前ですよね。。


我々おっさん世代は、思春期にかろうじて
「親(世代)が見返すに値する」
という条件が成立していた世代でした。
なので①⇒②の展開はよく理解できます。

「あなたが尊敬する人物は誰ですか?」の問いに
「おとうさん、おかあさん」という答えが
まだリアルにできた世代です。

また我々の世代が少年少女の頃は
まだ総理大臣に威厳があった時代(中曽根時代)でした。

そう!親世代全体に自信があり、威厳があったのです。


しかしバブルが弾け、親世代はなすすべもなく20年が過ぎようとしています。
その間、親世代の自信はどんどんなくなってしましました。
総理大臣に至っては、威厳の影も形もなくなってしまいました。。orz

これでは①から②へ移行するなんて無理な話です。。


親世代は自信を取り戻すことを諦め、世の中の風潮としては
「もっと子供(世代)の声に耳を傾けよう」
という感じになってきています。

一方、「子供の成長には乗り越える壁としての“強い親”が大切」
という話もちらほら聴きます。

もう混乱しまくってますよね。。


ということで今日の結論

今の若者が何も主張しないのは、上の世代が自信をなくしたからだ

です。